私の宗教遍歴①

私が宗教を始めたきっかけは、仏壇のお経でした。

それは、般若心経というお経です。

18才頃だと思いますが、何気なく仏壇のお経(曹洞宗)を取り、開いてみると漢字が羅列してあるので、この意味は何だろう。この意味を理解したい。ということがきっかけで、それに関する本を探しました。学校の図書館や、本屋で様々な本と出会いました。

そして、このお経を書き写していると、霊動する感覚が出てきました。自分でない感覚というか、小、中学ぐらいの時に「こっくりさん」というのを姉や友達とやったことがあるのですが、その時の感覚と同じような感じがありました。

百万回唱えると超能力が出てくるというので、通学の行き帰りとかに唱えていました。そのうちサンスクリットでも唱えるようになりました。特にこのお経は最後の部分が真言(マントラ)になっているので、最後の部分も唱えました。

このお経を唱えることで怖いものが無くなった感じがします。以前は暗い場所や、怖い話とかは苦手だったのですが、今は全然大丈夫です。

般若心経 – Wikipedia

創始者オスマン (kuruluş osman)

最近、youtubeでこれを観ていますがなかなか面白いです。

字幕が日本語訳になっているyoutubeチャンネルもありますが、なかなか新しい動画が出ないので、本家のatvチャンネルのトルコ語字幕を、設定で日本語に自動翻訳して観ています。

見どころは、イスラム教側から見たキリスト教の兵士たちとの戦いや、支配者として入ってきたおどろおどろしいモンゴル軍との戦いなど権謀術数あり、戦闘シーン、残虐シーン満載でそういうのが苦手な人には合わないかもしれませんがなかなか興味深いです。

トルコ語版は一話、二時間以上ありますので、私は1.5倍速で見ると丁度いいです。今、80話ぐらいのところを観ています。現在88話まで公開されています。

日本語字幕チャンネル

https://www.youtube.com/channel/UC1OqhY64paqfAwiIzSfkNkA/featured

トルコ語@atvチャンネル

https://www.youtube.com/channel/UCGR1XmkoQedeJMT2ajRHvsw

回想(子供時代の釣り)

子供時代に使っていたタックル

私が生れた時には、既に祖父は亡くなっていましたが、父親と祖父もよく釣りに行っていたようです。朝鮮で釣りをしていた時、潮が満ちてきて帰れなくなったという話を聞いたりしていました。

それで家には、竹製のつなぎ竿の束がありました。それぞれの竹の長さが一間(1.8m)です。なにしろたくさんあったので、どれとどれが継目があうか前日に合わせて、二本か三本を紐で括って自転車に付けて持っていきます。大きな川では四本ぐらい繋いでいたと思います。

穂先になる竹には先に編んだ糸が付いており、道糸のナイロンを八の字状に結んで、簡単に取り外しが出来るようになっていました。道糸にゴム管で棒ウキか玉ウキを付け、ハリス付きの針とかみつぶし錘か、板錘を取り付けました。

あとは畑の近くの堆肥のあるような場所に行って、ミミズを掘って餌にして持って行きました。針に餌を付けてウキ下を底近くにセットししばらく待っていると、浮きがポコッと沈みます。そこで竿を立てると小気味よい引きが伝わってきます。
これが私の釣りの原点と思っています。

小学校低学年の頃には、補助輪付きの自転車の補助輪を切ってもらって走り回っていましたから、父親に付いて釣りに行っていたと思います。仙台の苦竹に陸上自衛隊の駐屯地があり、引っ越しして自衛隊官舎に入る前は、その近くに住んでいましたが、その付近から、福田町付近の七北田川まで自転車を漕いで釣りに行っていました。1960年代は道路は非舗装が多く、車もそんなに通っていなかったと思います。

 小学校高学年で、名取に家を建てて引っ越しました。友人と近くの小川や池で真鮒を釣っていましたが、中学校の頃にグラスファイバー製の竿が発売されたと思います。それで竿とリール付きの簡単な投げ釣りセットを買って、友人と閖上(名取川河口)にカレイを釣りに行きました。その時は釣れませんでしたが、隣の大人が長い投げ竿で遠くまで飛ばして、一投ごとにカレイを釣る様子に驚いたものでした。カーボンロッドが安価になり、手に入るようになったのは大人になってからです。

そういうわけで最近は、6メートルほどの柔らかいリール付きの長竿に、極小のウキを付けて細い仕掛けでウキ釣りをすることが多いです。

今年の冬の間は釣りをお休みしていましたが、暖かくなったのでまたそろそろ始めようかと思っています。

聖歌352番 主イエスなるまれびとむかえ 

一人で4部をアカペラで歌って合成しました。

テンポとか音程は楽譜通りですが、もっと高いほうが歌いやすかったと思いました。もちろんソプラノの音程とかは出ないので、自分が出せる音程で歌っています。

やっと年末・・・(^^♪

11月ごろから仕事が忙しく、ブログ更新もままならず・・・・。

12月は、土日もなしで、朝から夜まで仕事やってました。遅くなって明け方近くになることもありました。特に年末に仕事が集中するので、最近は大変でした。

相変わらずのコロナ渦ですが、やっと休みになったので、いろいろやりたかったことをやっていきたいと思います。

元亨利貞とコロナウイルス

コロナウイルスの影響で、フリーマーケットに占いを出店しようとしていた計画が止まってしまいました。
まあ、収束したらぼちぼち始めようかと思っています。

学生時代から手相と易(筮竹)をやっていて、手相は相当な数の人を観ています。易は主に自分自身を占っていましたが
機会があれば始めようと思っていました。

易は、古代中国の殷が滅んでから、周の時代に始まりました。殷では亀甲を焼いて、その裂け目で占っていましたが、周では植物の茎 蓍(メドギ)が使われ、それが後に竹で代用されるようになったということです。

元亨利貞については、易経の一番目の卦の乾の卦辞に「乾、元亨利貞」とあります。

この意味は「乾は元(おおい)に亨(とお)りて貞(ただし)きに利(よろ)し」

乾は六爻皆陽、純陽の卦。天のはたらきの健(すこ)やかで息(や)むことのないのに象(かた)どる。
形体をもっていれば天であり、そのはたらきが乾=健である。占ってこの卦を得た者は、その望みが、大いに通るであろう、よろしく貞正を保つべきである。(易経 岩波文庫より)

また、文言伝にはこれを乾(天)の四徳と解して、「元は善の長なり。亨は嘉の会なり。利は義の和なり。貞は事の幹なり」としている。(易経)

元亨利貞は文鮮明師が下記のように語っています。

>「元亨利貞(ゲンコウリテイ)は天道之常であり、仁義礼智は人性之綱である」という言葉があります。「仁義礼智」を重要視したのです。「元亨利貞」は、自然の変わりなく循環する春夏秋冬の宇宙軌道についての説明です。しかし、人格的な神様が分かりませんでした。自然世界の陰陽の道理は解きましたが、愛や血統や完成ということが分かりませんでした。神様は東西南北の均衡をとった主体と対象、性相と形状の中和的存在だということが分からなかったというのです。 ( 天聖経第一篇: 神様 第一章: 神様の存在と属性 第四節: 神様の属性 22 )

>息子、娘の特権とは何でしょうか。父と母と息子、娘では、誰が一番偉いですか。もちろん父が偉いでしょう。母と息子を見れば、どちらが偉いでしょうか。このような問題が、今後家庭教育において世界史的な問題となるでしょう。東洋の法では、父と息子が国家を論じ、天地の機密を論議するようになる時は、母は出ていかなければなりません。「出ていなさい」と言えば、どれほど気分が悪いでしょうか。東洋思想ではそのようになっています。「出ていなさい」と言って息子と……。
 そのような時、なぜ母がデモをしませんか。なぜでしょうか。母は畑です。父は種であり、種に連結したものは、母ではなく父だというのです。ですから、種同士で会って話し合おうという時に、畑がそこに入っていいのですか。天地の道理がそのようになっているので、東洋思想から見るとき、「出ていなさい」というのが元亨利貞(注:事物の根本原理)なのです。(『文鮮明先生御言選集』一七七-三二四、一九八八・五・二二)

「元亨利貞は天道の常、仁義禮智は人性の綱」は「小學題辭」からの引用です。「小學題辭」は寺子屋等でよく学ばれるもので、文師も幼い時にこの内容に触れたのではないかと思われます。

今、コロナウイルスが感染拡大しようとしている時です。易で言えば、陰の気が増長している時期と言えます。しかし天のはたらきの健(すこ)やかで息(や)むことのない、自然の変わりなく循環する春夏秋冬の宇宙軌道は、徐々に陽の気を増長させるので、人類は智慧を結集して被害を最小限に抑えて、来るべき「春」の時代に備えていくべきと思います。

旧正月に、和歌浦で鯛を釣るの巻(フカセ釣り)

国語辞典、大辞林によれば
ふかせ づり 【ふかせ釣(り)】とは、
錘(おもり)をつけずに、または小さな錘を用いて、餌(えさ)の昆虫などが自然の状態で水面や水中にあるように見せて釣る方法。ふかし釣り。とあります。

釣りにも色々な釣り方がありますが、水温が下がってきたこの時期に有利な釣法で、グレ(メジナ)、チヌ(クロダイ)などの釣りのシーズンでもあります。

水温が高いと、小魚が多く、あっという間に餌を取られて釣りにならなかったりすることも多いです。

磯や堤防でのフカセ釣りは、浮きと針をつなぐ糸(ハリス)に、極く小さな錘を付けるだけのシンプルな仕掛けです。

この釣りでは、撒き餌が重要です。特に水温が低下しているこの時期は魚の活性が低いので、まずは撒き餌で魚を集めないと釣りになりません。

撒き餌と針に付ける餌には主にオキアミを使います。オキアミだけだと近くまでしか飛ばないので、集魚剤の粉末に海水を混ぜたものを入れて、まとまってポイントに杓を使って投げ入れます。

寄ってきた魚がどの辺にいるかイメージして、そこに付けエサがあるようにしないと釣れません。

ポイントの遠近、水深と上層、中層、下層、潮の干満、潮流の流れの強さ、潮の満ち引き、太陽の光の量や潮の濁りを読んで釣るので面白い釣法です。

釣る前に撒き餌をまいて海中の様子を探ります。潮の流れの方向や、撒き餌につられて浮いてくる魚を観察します。

魚が浮いていると判断すれば、上層狙いで浮きから針までを短くして釣ります。底付近にいるとされるクロダイでも上層の方で釣れることがあります。

釣り始めたら餌が取られるか取られないか、どんな魚が寄っているかを判断します。

大体は、釣り始めてすぐ餌が無くなるパターンです。フグが浮きに反応がないまま、餌だけを取っていきます。撒き餌が効いて大きな魚が寄ってくると、フグや小魚を散らすので、餌が残るようになります。そうなるとチャンスタイムです。

(実釣1/25(土)、和歌浦堤防)

土日が休みなので、土曜日か日曜日に行くようにしています。この時期、朝は寒いのでいつもほぼ昼を過ぎて、午後にゆっくり行くことが多いです。

[前の週はマリーナシティー大波止で撒き餌をまくと、すぐに体長50cm以上の大きなシマフグが寄ってきて上層で乱舞する状態。他に何か釣れるかとやってみましたが釣れたのはこれだけでした。ハリス0.8号で切られたので、ハリス3号で釣りましたがすごい引きでした。(すぐにリリース)]

シマフグ

当日は、午後和歌浦に着いたら爆風。風裏にあたるテトラ側に数人。慣れているので、養殖イカダがある側で釣り開始。すぐに手のひらのサイズのグレ、しばらくして大きなボラが釣れました。

そのあと強い引きがあり、やり取りの後上がってきたのは赤い鯛でした。30cm弱のサイズでしたが、体高があり、同等のサイズのグレ(メジナ)と同じぐらいの引きはあったと思います。(2020旧正月(春節)にこれはめでタイ)

以前に、和歌浦の新波止の方で紀州釣りで40cmぐらいのが上がったのを見たことがありますが、堤防でこのサイズを釣ったのは初めてです。

春節といえば、巷ではコロナウィルスとかで騒がれていますが、早く収束してほしいものです。

万葉集

テレビで万葉集についての番組を見ました。

『万葉集』の編纂に拘わったとされる大伴 家持(おおとも の やかもち)が紹介されていました。

聖武天皇から桓武天皇までの天皇に仕え、その間、律令制下の高級官吏として各地を転々とし、死没地は陸奥国の多賀城とのことでした。

以前紹介した「令和」の典拠は、当時珍しかった中国からの梅の花の宴(うたげ)の「序」であり、その時の正月の歌会が行われた日が、穏やかな日であったとのことでした。(この時の宴の主催者は大伴旅人)

それで万葉集をよく読んでいた父が、自分の歌集の題名を「冬日和」としたことについて、歌集の後書きに記している内容を思い出しました。

>昭和四十五年の私の作に「幾許(いくばく)かのわが歌は生
>(あ)れむ冬日和む街に真白き日記帳買う」
>があり、また「冬日和む昼の日差しのゆたけくて古墳の坂を
>上(のぼ)りつめゆく」の二首がある。
>それで何時とはなしに「冬日」としたいと思っていた。
>最近新聞の切り抜きを捲っていると思いがけず平成五年の読
>売新聞日曜版の「名画再読」の中に「冬日(とうじつ)」野
>口謙蔵(1901年~44年)の作品を見出した。この時、不覚にも
>私は「とうじつ」と音読みにすることを知らなかったので
>ある。「ふゆび」と「とうじつ」では解釈に幅があるため、
>思いあぐねた末、改めて古語辞典の「冬日和(ふゆびよ
>り)」に據ることとした。辞典には冬のうららかに晴れた日、
>冬晴れ、冬うららとある。
>私は冬の日のぬくもりが好きだからである。

今日は大晦日。昼間、和歌浦の堤防で、釣り納めとして20cmくらいのアジを30尾くらい釣ってきた。風が強かったが良い釣りができたと思います。

来年は「令和」の名の通り、穏やかで和(なご)やかな一年となってほしいものです。