万葉集

テレビで万葉集についての番組を見ました。

『万葉集』の編纂に拘わったとされる大伴 家持(おおとも の やかもち)が紹介されていました。

聖武天皇から桓武天皇までの天皇に仕え、その間、律令制下の高級官吏として各地を転々とし、死没地は陸奥国の多賀城とのことでした。

以前紹介した「令和」の典拠は、当時珍しかった中国からの梅の花の宴(うたげ)の「序」であり、その時の正月の歌会が行われた日が、穏やかな日であったとのことでした。(この時の宴の主催者は大伴旅人)

それで万葉集をよく読んでいた父が、自分の歌集の題名を「冬日和」としたことについて、歌集の後書きに記している内容を思い出しました。

>昭和四十五年の私の作に「幾許(いくばく)かのわが歌は生
>(あ)れむ冬日和む街に真白き日記帳買う」
>があり、また「冬日和む昼の日差しのゆたけくて古墳の坂を
>上(のぼ)りつめゆく」の二首がある。
>それで何時とはなしに「冬日」としたいと思っていた。
>最近新聞の切り抜きを捲っていると思いがけず平成五年の読
>売新聞日曜版の「名画再読」の中に「冬日(とうじつ)」野
>口謙蔵(1901年~44年)の作品を見出した。この時、不覚にも
>私は「とうじつ」と音読みにすることを知らなかったので
>ある。「ふゆび」と「とうじつ」では解釈に幅があるため、
>思いあぐねた末、改めて古語辞典の「冬日和(ふゆびよ
>り)」に據ることとした。辞典には冬のうららかに晴れた日、
>冬晴れ、冬うららとある。
>私は冬の日のぬくもりが好きだからである。

今日は大晦日。昼間、和歌浦の堤防で、釣り納めとして20cmくらいのアジを30尾くらい釣ってきた。風が強かったが良い釣りができたと思います。

来年は「令和」の名の通り、穏やかで和(なご)やかな一年となってほしいものです。

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